何かを守ろうとかどーにかしようと思うのは、それが失われつつあるからってことだろうし、つまり結局のところ、自然は失われゆくものなんだよ。6月13日の札幌は晴れていて、東京よりも気温が高く真夏日だった。6月15日の札幌は朝方雨で今は晴れているが20℃に届かないぐらいかな。真夏日だから夏だというわけではないし、初夏というには早すぎるし、ところでいつ冬はいつ終わったのだろう、雪が降らないから冬ではないわけではない。降らない冬もある。こんなふうに自然ってのは結局、人によって区分されているわけだ。この場所の今、一回きりの気候状態を夏だとも、初夏だとも、冬だとも言えるのだけれども、それはそれぞれのルール-人による区分によって現われる一回きりの自然なわけで、このサイト(場所)からは切り離されている。つまり、自然は一回きりでノンサイトってこと。
でもちょっと今、雨降ってきそう。

要点は2つ。
1.自然の区分は常に人為的なルール。
2.自然は一回きり。

これをふまえて自然を作る作業を2つの系に分ける。
ノンサイト自然ループ系ノンサイト自然ループ抜け出し系
ノンサイト自然ループ系は、それぞれの区分が明確なもの。
世界初の人工雪結晶や岩波映画を作った中谷宇吉郎、昭和新山の出来るまでを様々なやり方で記録した三松正夫、枝、土、花、葉、つらら、石などなどを用いて作るアンディー・ゴールズワージー
ノンサイト自然ループ抜け出し系は、それぞれを区分するルールの区分もハッキリしているもの。
サイト/ノンサイトを言い始め、アースワーク、彫刻を作るロバート・スミッソン、人工霧を作る中谷芙二子、自然環境保全形成と過疎を解決、若しくは活性化する灰塚アースワークプロジェクト

中谷宇吉郎
物理学者。
雪、霜、霧、氷など水を媒体として生成されるものの先駆け的研究者。
寺田寅彦に教えを受け、助手にもなる。実験物理学。

ノンサイト自然ループ系

著書「雪雑記」に粉雪についての文章がある。粉雪と言ってもいろいろな状態があるんだっていう話で、科学における粉雪とスキーにおける粉雪は違うんだってことを書いているのだけれども、それは違いを並べているのではなくて、自然の区分は結局人為的なんだってことについてであり、そのような人による区分で一回きりの自然を作ろうということが中谷宇吉郎の仕事の基本原則になっているのだと思う。

世界で初めて人工雪の結晶を作る(1936)。
「、、、実験室の中でいつでもこのような結晶が出来たら、雪の成因の研究などという問題を離れても、随分楽しいことであろうと考えてみた。」(「雪雑記」中谷宇吉郎、朝日新聞社、p.21、雪を作る話)
1932年からスタートしたこの試みは、実験室内で雪を降らせるというもの。初めに設定した「天然の雪の結晶の出来る通りに真似すれば良いという極めて平凡な結論」(同、p.22)を再び導くのに試行錯誤があり、それは自然対流を用いることで解決へと向かう。1936に北海道大学に出来た低温室内に雪の降る状態を再現したうえで成功。

科学映画の制作に関わる。
「雪の結晶 」(13分、1939/東宝文化映画部)
「霜の花」(20分、1948/日本映画社)
―北海道大学低温科学研究所が国際永雪会議(1948/オスロ)の資料として制作。
「大雪山の雪」(1948/日本映画社)
中谷研究室プロダクション設立(1949)
―後の岩波映画制作所。
「凸レンズ」(1949/中谷研究室プロダクション)
「科学するこころ」
―これらのを映像として見たことはないのですが、画像と資料等を元に書くと、「雪の結晶 」や「凸レンズ」は、科学を詳細に記録したものでありながら、その映像がどのように撮られたのかというルールも明かすメタ映画?となっているらしい。つまり、この撮影ルールだからこの映像だよ、この区分だからこの自然だよってこと。
例えば、「雪雑記」などを読んでいても、その結晶がどのような観測条件でどのように記録されたのかということを詳細に記述している。それを用いて雪や結晶について話すという仕組みだ。

著書も多数。
中谷宇吉郎 雪の科学館(1994/石川県加賀市)
磯崎新設計によるもので、人工雪を作るまでの過程や実験を通して様々な体験ができる。
中庭にはゆかりのあるグリーンランド氷河のモレーンの石と中谷芙二子の霧の彫刻。
金沢21世紀美術館を見に行くならばここも是非行ってみてください。
ことば
雪は天から送られた手紙である

中谷芙二子
霧の彫刻家
札幌生まれ。
米国ノースウエスタン大学美術科卒業。
東京在住。

ノンサイト自然ループ抜け出し系

人工的に霧を作るのだけれども、そのつど一回きりの霧を作るルールがハッキリしているってこと、人工なんだってことを明確にする。そのことが特にハッキリするのは雨の日。例えば、昭和記念公園に霧雨の日に行った時のことだけど、奥の方がもわもわと立ち上がっていた気がする。作り出した霧のルールと今降っている霧雨のルールによるそれぞれの自然が触れ合うとその縁(霧の出る場所/出ない場所という区分ではない)がおそらく飽和水蒸気量の関係から霧となり、作り出した霧と合わさって雲海となる(霧と雲の区分もあいまい)。人工的な霧であるのにも関わらずそれを越えてしまっているというのは、一回霧のルールも区分されているんだとハッキリさせつつそれに接するように、あるいは今降っている霧雨のルールとつなぐ抜け出しがあるんだということ。ここでは一回きりの自然の間に拡がる雲海を手がかりにその中を彷徨えばいいってことだ。
中谷宇吉郎が実験室内で自然を作ることに対して、中谷芙二子は屋外で自然を作ることによってその区分のルールを明確にし、自然ループから抜け出す。これが科学と美術の違いってことなのかな。

霧の舞台装置「オパール ・ループ/雲」(トリシャ・ブラウン・ダンス・カンパニー公演)
情報彫刻「ユートピア Q&A 1981」(E.A.T.との共同制作)、
昭和記念公園・霧の森(1992/東京・立川)
中谷宇吉郎 雪の科学館の中庭(1994/石川県加賀市)
など。
1980年に日本で唯一のヴィデオ・アート専門ギャラリーとして、ビデオギャラリーSCANを原宿に開設。
株式会社プロセスアート 代表取締役
四谷アート・ステュディウム
ゲスト講師

親子共々札幌にゆかりのある人なのに、今の札幌の美術関係者にはほとんど知られていないっぽい。残念なことだと思う。

中谷宇吉郎映画いろいろ
ゆふいん文化・記録映画祭

北陸建築の旅
金沢21世紀美術館
(設計 SANNA
中谷宇吉郎 雪の科学館
(設計 磯崎新)
立山博物館
(設計 磯崎新)
―磯崎新が設計したもの中で個人的には2番目に好きです。一番は群馬県立近代美術館。東京にいた時に何度も行った。
scotiabank nuit blanche
Toronto Canada 2006

Fog in Toronto #71624
映像2つ。見てるだけでひんやり感。
画像多数
―札幌でもこういうことできればいいなぁ。思いつきもしないんだろうな。。。
地面が隆起してきた時に隆起/あたらしい山を区分するのは難しい。結局人為的にそれは区分されているってこと。それでも区分しなければ自然は解らないから三松正夫はノンサイト自然ループ系の仕事をした。
昭和新山という名前は最後につけられる。

三松正夫 郵便局長

明治21年生まれ。
逓信事務見習い(16歳)を経て世襲で特定郵便局の局長(24歳)となる。
明治43年7月の有珠山の活動の際に、郵便配達等の土地勘から観測調査の案内役となる。
東大、北大の先生付いて回るうちに学問の偉大さを感じ、地学を志す。
昭和18年12月28日の激しい大きな地震と余震の際に、「とっさに明治活動と同じものを感じ」(「昭和新山」三松正夫、講談社、p.29)たのは、これまでの素人ながらも地学への志しや研究が生きたとも言える。
この地震に伴う隆起によって電話線が切れるとただちに修理班を送るなどの業務もこなす。
過去の経験や知識を持っていることに加えて(田舎の顔の知られた)郵便局長であることから、村人達が多く訪れ幅広い情報収集と対策もすることになる。
知識のあるところに情報が集まり、その情報が知識で生かされるというわけだ。まさに逓信に徹してるとも言える。
戦時中につき学者が来られない、長期滞在できないことから観測が三松に委託されるのだが、それよりも本人の使命感によるところが大きい。
特定郵便局の局長は仕事をきちんと日々片付けさえすればいいので、勤務時間に縛られず兼業も可だということが観測を可能にしたとのこと。(「昭和新山」三松正夫、より)
昭和26年に退職する際には、『「一人ぐらい型破りの名物局長がいてもよいではないか」と郵政省から辞意撤回のお話しを頂いたが、火山にひかれて固辞してしまった。』」(「昭和新山」三松正夫、講談社、p.32)そうだ。

三松正夫 研究者(素人)

素人研究者の眼差しが選択したルールは、できるだけ正確に記録するということであり、そのルールを用いて一回きりの自然を現す。
とは言っても、戦時中で記録装置-メディウムが何もない。地震計もカメラもフィルムも。
そこで記録装置を発明することから始める。
有感地震の回数は、地震が起きる度に老婆が豆を一粒皿に移すという方法。この方法は噴火等活動翌年昭和19年4月に地震計を手に入れることで終了。
山の隆起は、後にミマツダイヤグラムと国際火山会議(昭和23/ノルウェー、オスロ)で命名される方法を用いる。
郵便局の裏を定点観測ポイントと決める。昭和19年5月1日-昭和20年9月20日の記録。
首と眼の位置が常に同じに固定できる台とその前方にテグスを水平に張り、そのテグスを基準に隆起の立面図を作る。
戦時中の紙の粗悪さを利用して、透ける下の絵をトレース。そのようにしてそのつど一回きりの隆起-あたらしい山を作っていった。
(資料 「昭和新山」三松正夫、講談社)

三松正夫 画家

画家の眼差しでより正確に記録するということは、ミマツダイヤグラムのような正しさに必ずしもなるわけではない。起こっていることを作り出すために象徴体系を外れて描くことは、画家として決して珍しいことではなく、印象派や遠近法を用いてると思われているルネサンス期の絵画ですらそうだったりする。絵は噴煙や爆発、火の脅威、恐ろしさを執拗に描くことができ、ある部分をより強調して描くことでそれが一回きりの火山活動の凄さ-自然を作り出すことにもなる。
近年、画家としての三松正夫がやや注目されているようであり、椹木野衣の「美術になにが起こったか―1992‐2006」にも火山画(カラー図版あり。噴火時の絵、他。)として紹介されたり、「快走老人録−老いてますます過激になる−」展(2006.9.16-11.15/NO-MA、滋賀・近江八幡)にも出展されている。
著書「昭和新山」にもカラー一枚と白黒数枚の絵が掲載されている。

三松正夫 エッセイスト

文章を用いたより正確な記録もしている。著書「昭和新山」は、当時の地理情報、社会状況、自己紹介、噴火活動状態、観測の仕方、観測結果に著者の心理を重ねて書いてある第一部と昭和新山の生成の様子を文・図・写真による日記形式を用いた「昭和新山生成日記」の第二部とに分かれている。

三松正夫 コレクター

より正確な記録をしたくともその対象が破壊されてしまってはどーしょもない。そこで、このあたらしい山を丸々買ってしまった。とは言っても自分のものにしたいという欲望ではない。より正確な状態を保持することが目的であり、その私有地-あたらしい山を天然記念物申請し、昭和26年6月9日認定された。そのつど変わりゆく一回きりの自然さえコレクションできればいいということ。

セザンヌ「聖ヴィクトワール山」
(1904-06)
アースワークなんてものが盛り上がる背景はいろいろあって、1960年代の美術館、建築、ジャンル、美術等枠組から外へ向かうことで行きついた場(サイト)さえあればいい(ランドアートとも呼ばれる)ってことや、1990年代のなんとなく世界の終わり的なことに伴ういろいろな中心、枠組の終わり的傾向によって場(サイト)が露わになったことだったりする。でも、その場ってどんなの?ってことになった時にその場(サイト)に特有のものを見つけたり作ったりすることにしてみた。これが、サイト・スペシフィック(場の特有性)ってこと。しかも、その特有性ってのは中心との関係で大抵は決定されていて、建築→都市とか、キャンバス→展示空間とか、美術館→美術館の敷地とか、現代→民俗とか、東京→地方とか、自然への回帰もこんなふうに決定されてたりする。ま、ランドでもアースでもいいってことだ。このような仕組みなので、場に特有なものってのは、その場そのものとは何ら関係がなく、新しい枠組だということとなる。磯崎新がサイト・スペシフィックを必要要件だとする時、それは枠組を浮かび上がらせるための場(サイト)であり、そのように場(サイト)と枠組を切断することによってサイト・スペシフィック(場の固有性)を作り出すとする。
ところで、雨が降るのも、木が朽ちるのも、土が乾くのも、花が咲くのも、それぞれいつもルールは同じなのにそのつど一回きりのことだ。気象条件や様々な状態によってメディウムが反応し選択したルールによって一回きりの出来事を作る。これが一回きりの自然。メディウムはその場所に何か特有だとされているものだとしても、選択するルールによって一回きりの別のことに変えられる。つまり、場所特有のものは特定の場に縛られることのないノンサイトな自然になる。いや、初めからそうだったということ。

アンディー・ゴールズワージー

その場所に特有のもの、自然だとされているようなもの、枝、土、花、葉、つらら、石などなどを用いて作品を作るので、サイト・スペシフィックな作家だと思われがちだけれどもそうではないと思う。それら自然とされている素材-メディウムはその場とは関係ないルールを用いて一回きりのもの-出来事として現われ、やがて朽ちる。このように場所に特有のものは、その場(サイト)とは切り離されることで自然となる。いや、むしろ初めからルールに沿ってだけ現われることのできるノンサイトなものだった。

cone
(State University of New York at Purchase、NY)
石を加工し組み合わせたもの

「Chestnut stalk screen」
2007.3.31-2008.1.6/Yorkshire Sculpture Park、イギリス)
Creative Commons 継承3.0 ライセンス
原著作者 アンディー・ゴールズワージー
枝をつないだもの。枝と枝の接続部材も枝。枝の接続(「Chestnut stalk screen」)の詳細映像あり。

「Clay wall」
2007.3.31-2008.1.6/Yorkshire Sculpture Park、イギリス)
Creative Commons 継承3.0 ライセンス
原著作者 アンディー・ゴールズワージー
土の乾燥。
土壁の作り方(「Clay wall」)の詳細映像あり。

Yorkshire Sculpture Parkでの展覧会(2007.3.31-2008.1.6/イギリス)
石の加工(「Stone domes」)、枝の接続(「Chestnut stalk screen」)、土壁の作り方(「Clay wall」)の詳細映像あり。
GALERIE LENONGでの展覧会(2007.5.8-6.16/NY)
「white wall」の朽ちる画像。artistページに過去の作品画像あり。

壁の再定義プロジェクト。
-個人的にはあまりいい作品だとは思わないけど、、、デカク強くなりすぎ。
snow ball
Fairfields Art Centreでの展覧会。(2005)
作品一覧
artnet
flickr
イングランド政府コレクション

ロバート・スミッソン

サイトとノンサイトってロバート・スミッソンが言う時、サイトが現実のもので、ノンサイトがそうじゃないもの、鏡に映ったものみたいに考えられがちだけど、最近流行り?のオプアート?もそうなのかな、でもそういうことじゃないって思いたい。いや、だってさ、鏡をポンって置いてそっちは現実ではありません、でも誰も到達できないからホントの現実です。ってのは安すぎるでしょ。鏡を立てて作ったコーナーに土とか砂とか石が盛られてる作品は、2面+床1面に映った現実のものが鏡内部で反射して現実のものがある場(サイト)とつながることでどこにもない場(サイト)-ノンサイトを作っているんだとも見えるけど、映し出されたサイト-現実のものの像が選択せざる得ないのは、それが鏡だってこと。鏡はハッキリとそこに立てられていて隠す気すらない。鏡を使った多くの作品はそれが鏡であることを必死に隠そうとする。こっち側とパースを合わせたり室内全面に貼り付けたりして。鏡なんだってことを明確にすることで、鏡に映し出された像は現実のものとはそれは別のものだってこと、つまりサイトからの切断をする。ところで、どうやらこの鏡はそのつど、これだっ!て感じで盛られてた土・砂・石などに支えられたり、壁に立てかけられたりしているらしくて、それによって像は鏡による一回きりの出来事-ノンサイトとなる。

A Provisional Theory of Non-Sites
ノンサイトについていろいろ簡単に書いてあるんだけれども、英語かなりやばいので誤読かもしれないが、おもしろいのはサイトを2D、ノンサイトを3Dってしてること。サイト・スペシフィック(場の特有性)ってことが、その場(サイト)から切り離されて初めからノンサイトなんだってことかな。

『「場所の特定性(サイト・スペシフィック)はそれが特性として特定されたとたん、どこかに転位してしまう」、ロバート・スミッソンはこう言った。場所の特定性は蜃気楼のようにうつろいやすく、不可逆的な進行によって崩壊、侵食されていくほかない。洪水。溶岩。空間を侵食するヴォリューム。エントロピー。それに対してノンサイトとは、場所の特性が特定されること、つまりパッケージングされることが結果的にそれをジェネリック、無特性にしてしまうことを意味している。ここでは場所の特性として採取された岩石は、箱の中に収監されてしまっている。特定の特性をどこでも取り出せるパンドラの箱。アースワークの本質は、この転位の構造の考察にあった。』
(「彫刻の支持体」岡崎乾二郎、p.64、雑誌「武蔵野美術」No.107、1998.1発行)
ノンサイト、フランクリン、ニュージャージー」(1968)
木小屋を部分的に埋没させる」(1970)

公式サイトに作品画像いっぱい、全部?あり。
SPIRAL JETTY」(1970)
Creative Commons 継承3.0 ライセンス
原著作者 Soren.harward

灰塚アースワークプロジェクト

自然が大事だなんて言っていても自然だけじゃ人間たぶん生きていけないわけで、地方や田舎にいれば分かるけれども、自然はある程度保持しつつも人間が集まるための何か、文化施設とかコミュニティセンターみたいなものやイベントが強く求められてたりする。
そのつど現われる一回きりの自然のループとそのループの集めによる-境界確定が多元な環境を形成(ピオトープ)しつつそこから別のループへ抜け出すことで自然環境保全形成と過疎を解決、若しくは活性化しようってのが灰塚アースワークプロジェクトだ。

広島県三良坂、吉舎、総領にまたがるエリアの洪水調整用のダム建設の計画にともなって、1994から環境形成と地域活性化のために現場分析に基づく様々なワークショップがこのエリアで始まりました。
その中で、自然環境形成しつつ川の治水-護岸整備をすることと人々の営みを作ること、複数の環境を重ね合わせる提案が生まれます。

洪水ってなんだ?って考えた時に、川と陸が護岸によってハッキリと分かれていて、その区分を川が乗り越えていくってことだ。そういうことが起こったり予兆があると洪水をなくしたいって思い、通常は川と陸をより明確に区分するより強固な護岸工事が行われるのだけれども、このプロジェクトでは川と陸の区分がなければ洪水じゃないじゃん、川なんてどこ流れてもよくね?洪水なくなるよって考えからスタートする。とは言っても川と陸は法規上明確に区分されており、治水もしなければならない。そこで注目したのは、護岸の内側にある河川敷だ。ここは野球場とかキャンプ場とかによく使われている陸なんだけれども、法規上は川だ。そこに水が流れていようと干上がっていようと川。つまり、そこはいつも氾濫してるってことになる。このことを上手く利用して、このエリアに川を引き込むこと、あるいはその仕掛けのある遊水域を作ることで治水をする計画を作る。

この遊水域はどんなの?って話の前に二つのことをふまえておこう。
一つめは、本来、川はどこを流れてもいい、常に氾濫しているのだが、川と陸の区分が法規上であるように、その区分は常に人為的だということ。
二つめは、自然は一回きりだということ。

このことをふまえて、人為的に区分した一回きりの川の流れが現われるように計画する。
谷を掘ったり、その残土で盛土したりして人工の地形を作ったり、人の営みが行われるようなギャラリー・アトリエ・舞台などや人為的な形付けなどによって区分すること、正確には区分をハッキリさせることで、氾濫しているはずの川や連続しているはずの自然が一回きりの出来事-自然として現われるのだ。

区分は何かと何かの間にあるもので、そのつど一回きりの自然の間に挿入されており、自然ループからの抜け出しにもなっている。「散策する人は、それらの膜を通り抜けるたびに、違った植生、景観に出会うというわけである。この膜と膜のはざまに棲息するようにアーティストのスタジオやギャラリーが挿入される。」(「GA JAPAN 17」、アバウト・リバー、吉松秀樹+岡崎乾二郎、p.43、文:岡崎乾二郎/1995)

この抜け出しの環境もまた、区分は明確な一方で他の環境への抜け出しとなっている。
ひまわり舞台は、2つの島、舞台、広場をつなぐS字の遊歩道で区分する。区分するということは隣り合わせてつなぐことでもあり、その区分が借景や道の延長によってこの地区の環境への抜け出しにもなっている。

他にもいろいろ抜け出しあり。

ところでこのような計画は、ハード面、装置ばかり整えても、それを地域の人々が使わなければどーしょもない。多くの特に地方にあるハコモノやハコを持たずとも枠組ばかり整えてる産業振興(世界とつながってます!宣言)とかも同じ。
そこで、まず地域の人々がどのように使いたいのか、どのようなことをしたいのかというようなワークショップを開きいろいろ試行しその中で計画を立てていく順序で行い、それによって地域の人々が主体的に行う環境形成と地域活性化となる。その契機と試行をこれからも続けるのが灰塚アースワークプロジェクトなんだと。

「アンディ・ゴールズワージー展−ふたつの秋−」
(1994/世田谷美術館、東京、砧)
PSPを長軸を中心に回転させたぐらいの大きさの赤土?の固まりが床に数十個縦横スパンを空けて並べられ、乾燥しひび割れ続けていた。最終日には崩壊したとか聞いたような。大きな曲面の窓の前に枝のスクリーンの作品があったような気がするけど違うかも。
PHスタジオ

船をつくる話
1994〜
灰塚ダム工事に伴って伐採された木を使って船を作り、ダム完成時に行なわれる湛水実験の時にダム底にある船を水を利用して山のてっぺんまで上げ、水位が下がると船がてっぺんに残されるプロジェクト。

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