mothball


ブラインド、プログラム制御、窓
face


壁に映像投影、プロジェクター、椅子、半透過反射材

南隆雄展 「御蔵入り」
2006.10.20-10.23 18:00-21:00
札幌市中央区南2西2 富樫ビル8F(ダイソーの上、8F)
使われていないビルのフロアー全部を使って行われた。
ICC+S-AIR 2006 創造拠点交流事業 
(*このICCとは、札幌のインタークロス・クリエイティブ・センターのこと。NTTのICCとは無関係。)
主催 財団法人さっぽろ産業振興財団(インタークロス・クリエイティブ・センター)
共催 特定非営利活動法人S-AIR
助成 財団法人地域創造、財団法人アサヒビール芸術文化財団、
社団法人北方圏センター北方圏交流基金
協賛 アウラアソシエーツ都市建築設計、山謙工業株式会社、エスポワール不動産株式会社
SAPPORO デザイナーズ・ウィーク2006 plugin project

南隆雄プロフィール

1976 大阪生まれ
2001 IAMAS卒業
南隆雄としては今回が初の展覧会。
南隆雄展
(2007.1.13-2.17/オオタファインアーツ、東京・六本木)

「るさんちまん」としての活動
(2000-)
個展
第7回「る会〜生きション〜」
(2001/AD&A Gallery、大阪)
第12回「る会〜生きション〜」
(2004/Space Kobo&Tomo、東京)
グループ展
「Flame Frame」(2001/IAMAS、岐阜)
「メディアソケッツ 多様なる創造圏」
(2003/山口情報芸術センター
N_ext」 (2004/ICC、東京・初台)
作品映像あり
Ars Electronica 2004」
(2004/Kunst universitat Linz、オーストリア・リンツ)
「Rock the future」
(2005/Foundation for Art and Technology、イギリス・リバプール)
横浜トリエンナーレ 2005」(2005/横浜)

情報がそのつどルール、からだを選択して、ルールに沿って一回だけ現われることを生きる。
受信と送信が同時に行われること、経験と意識が干渉し合うことで情報化されるのだが、それさえ行われればメディウムはどんなものでもいい。情報化はメディウムにおいて起こるので、対象と自分(私)は向き合わず、情報から反射されて作られるような自分が一体どこにいるのかわからない感じになる。
送信によって選択されたルール、からだを使い一回だけ現われる出来事を受信する。生きる。

mothball

ルール管理からだ

窓の向こうの札幌の街がそのつど選択するルールはブラインドの開け閉めであり、その反復されるルールによって風景は一回だけの出来事となる。
窓(枠)さえあればその向こうに何かある(パノフスキー)。と思ってしまう時にその窓の向こうにあるものが本来のものだと考えてしまうのだが、むしろその窓(window、北海道は二重窓なんでwindows)に本来のもの(サイト・スペシフィック)が一情報としてすっぽり収まってしまうこと、本来の〜なんてものが人為的に区分できてしまうということに注目すべきだと思う。
人為的区分はその区分でなくてもいいわけで、区分のルールがまず先にあるのではなく、本来とされるもの-情報がそのつどルールを選択して一回きりの出来事となる。通常、対象と身体は向き合っていると思われているけれども、このような状態においては身体=世界は人為的区分-ルールにすぎず、そのようなールに管理されたからだははどこにあるのか、自分はどこにいるのか全く判らなくなる。
本来のもの(サイト・スペシフィック)、つまり札幌の街=情報によってそのつどブラインドの開け閉めというルールは選択され、からだを管理し一回きりの出来事を作る。からだは札幌から遠く離れてその一回きりの出来事生きることになる。

移管の手引き

プログラムによってモジュールを制御することでブラインドの開け閉めを行うルールであり、本来の用途、外を見る、採光、遮光のためだけではなく、開け閉めも淡々と行う。このようなプログラムの強制執行はその区分ルール自体も人為的に区分されているんだと明確にし、別の区分(ルール)でもよかったんだけど、、、とするルール-抜け出しになっている。つまり、からだは札幌の街=情報によってそのつど作られ選択されたルールに管理されている一方で、札幌から抜け出して別のルールによって管理されているということ。札幌に関わらず、地元や何かを見る、生きるにはこのようにループを抜け出し別のルールに管理させることで圧倒的に自由になることもあるわけだ。常に異なる環境から見ること。mothballはそういう手引きもしてくれているのだ。

face

歪められ重ねられた誰のものでもない顔の映像が照らし出すのは、がら空きのフロアーの薄汚れた白い壁、モダニズム建築の成れの果てである。誰のものでもない顔-経験に、使われなくなった室内、建築から疎外された、象徴されえない終わりの形を与えること。

このような脱建築-情報がそのつど選択するルールは、この投影の前に無造作に置かれた投影システムである。このシステムとは、プロジェクターからの映像を吊るされた2枚の半透明反射材にまず当て、そこから斜めに反射させて壁に投影するものであり、人がその近くを通過すると、風によって2枚の半透明反射材がそれぞれ揺らぎ、壁に投影された顔も更に歪むようになっている。

つまり、断片を用いて想起させるものは、このような無造作でたまたまそうなってしまったルールによる一回限りの出来事なのだ。

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